名古屋市上下水道局

戦災からの復旧・復興

最終更新日:2022年04月01日

 名古屋の下水道はこれまでずっと順調に発展してきたわけではありません。
 第2次世界大戦は昭和20(1945)年8月15日に日本の敗戦で終わりましたが、戦争末期に名古屋市は度重なる空襲を受け、市の中心部は廃墟と化していました。
 下水道施設の被害は大部分が焼夷弾による損害で、私設下水道(排水設備)やマンホール、雨水ます、取付管などの末端施設に多かったのですが、処理場の沈殿池や機械設備、汚泥輸送管にも被害が及んでいました。
 下水管の復旧は、極力、爆破か所から手をつけました。また、下水処理場では、爆破されて機能不全に陥っていた汚泥輸送管の修理を重点的に行いました。

 名古屋市は昭和20(1945)年10月にいち早く復興調査会を設置し、戦災復興の基本計画にとりかかり、昭和21(1946)年3月、市会で「名古屋市復興計画の基本」が発表されました。
 下水道事業も、極端な資材不足などにより復興は困難をきわめましたが、遅々としたあゆみながら徐々に復興を遂げ、拡張工事も再開しました。
 そして、昭和28(1953)年には戦後最初の長期的な拡張計画である「四流域下水道整備15か年計画」を策定し、下水道拡張事業に着手しました。

 名古屋の下水道は、困難から力強く立ち上がりさらなる発展に向けてあゆみを続けたのです!
下水管布設(800粍)工事
下水管布設(800粍)工事
(昭和区御器所町地内、昭和28年頃)

昭和27年に設けられた補助金制度のポスター
水洗便所の普及促進も戦後再出発しました。
(昭和27年に設けられた補助金制度のポスター)