名古屋市上下水道局

世界最大の鉄筋コンクリート管

最終更新日:2022年08月26日

 名古屋の下水道の当初設計案は、茂庭忠次郎技師らの再検討の結果、分流式から合流式に改められることになりましたが(合流式と分流式については水の旅 ~名古屋の下水道のしくみ~)、その方針変更には2年近くの期間を要しました。この間茂庭技師は、施工が簡便でもっとも経済的な下水用材を追求する目的で、鉄筋コンクリート製の下水道管の研究を進めました。
 明治41(1908)年3月には、鉄筋コンクリート管試作場(工場)を伊勢山町(当時。現在の中区伊勢山付近。のちに、現在の古渡町付近、さらには鶴舞公園へと移転。)に設置し、鉄筋コンクリート管の管厚強度の計算方法、鉄筋の配置と接合方法などについて研究を進めました。

茂庭忠次郎
茂庭 忠次郎

 研究の結果、鉄筋量を大幅に削減して十分な強度のある鉄筋コンクリート管の製作に成功しました。鉄筋コンクリート管は、内径2.25尺(68cm)~4.5尺(136cm)のものは工場で、5尺(152cm)~7尺(212cm)のものは工事現場でそれぞれ製作し、明治43(1910)年ごろから使用され始めました。当初、内径3.5尺(106cm)~4.5尺(136cm)の管は、運搬の便宜を考え、4分割したブロックとして工場で製作し、工事現場で組み立てるようにしましたが、分割しなくても運搬に支障のないことがわかり、完成品が工場で製作されるようになりました。3尺(91cm)以上の鉄筋コンクリート管は、工場製作管としては当時の世界記録でした。

 茂庭技師の研究成果は、大阪市や東京市(当時)でも活用され、のちに水道協会(現在の日本水道協会。下水道部門はのちに下水道協会として独立)の鉄筋コンクリート下水管規格制定の際にも管厚強度の計算方法が採用されました。

伊勢山製管工場(明治42〔1909〕年11月)
伊勢山町製管工場(明治42〔1909〕年11月)

広小路の下水道工事風景
広小路の下水道工事風景
(中央下部に組立式の管が見える)