名古屋市上下水道局

名古屋の下水道の礎を築いた先人

最終更新日:2022年04月01日

 くらしとまちを縁の下で支えている下水道ですが、今日の下水道ができるまでは多くの先人の努力がありました。そのなかから、創設期から展開期に尽力され、名古屋の下水道の礎を築かれた5人をご紹介します。

上田敏郎
上田  敏郎(1864~1912)
 明治36(1903)年に、本市下水道の創設にかかる下水道布設のための調査を受嘱しました。議会議決及び認可時の責任者。明治42(1909)年水道技師長に就任し、上下水道の布設に多大な功績を残しました。(豆知識「名古屋市上下水道110周年の起算点」もご覧ください。)


茂庭忠次郎
茂庭  忠次郎(1880~1950)
 創設工事の実施設計で合流式を導入しました。また、鉄筋コンクリート管にかかる研究にも尽力し、工場製作の大口径鉄筋コンクリート管を開発して、全国に先駆けて実用化しました。大正3(1914)年下水道布設事務所長に就任(豆知識「世界最大のコンクリート管」「日本で初めての下水道陶管の規格制定」もご覧ください。)


石下朝重
石下  朝重(1888~1977)
 大正13(1924)年より、活性汚泥法による下水処理の実験を実施し、実用化の目処を立て、活性汚泥法の導入に道筋を立てました。大正12(1923)年下水道課長に就任(豆知識「堀留処理場(現在の堀留水処理センター)について」もご覧ください。)


池田篤三郎
池田  篤三郎(1890~1963)
 日本で初めて活性汚泥法を導入した堀留処理場の設計責任者。天白汚泥処理場を建設し、一括して汚泥処理を行う仕組を構築しました。また、名古屋産活性汚泥肥料の販売も開始。昭和11(1936)年初代水道局長に就任(豆知識「下水汚泥の有効利用の始まり」もご覧ください。)


杉戸清
杉戸  清(1901~2002)
 市内三河川(堀川、新堀川、中川運河)浄化に取り組みました。昭和22(1947)年水道局長、昭和36(1961)年名古屋市長に就任。(豆知識「三川浄化計画」もご覧ください。)