昭和(下水道)
最終更新日:2022年05月02日
昭和5(1930)年10月 堀留と熱田の両下水処理場が運転開始
(日本初の活性汚泥法による下水処理)
熱田下水処理場は昭和3(1928)年7月に、堀留下水処理場は同年9月に工事着手し、両下水処理場とも昭和5年10月に完成し、我が国初の活性汚泥法による処理を開始しました。
下水処理場は平成20(2008)年に水処理センターと名称変更し、現在は15か所で稼動しています。
堀留下水処理場
堀留下水処理場のブロア室(このブロアは昭和5年9月のスイス製で日本最古の直結ブロアです)
熱田下水処理場
昭和7(1932)年3月 天白汚泥処理場が運転開始
天白汚泥処理場での天日乾燥処理作業風景
下水処理を開始した当初、発生する汚泥は、その大部分が海中投棄されていましたが、天白汚泥処理場の運用開始に伴い、天日乾燥処理等を施して「名古屋産活性汚泥肥料」として生産を開始することとなりました。(昭和46(1971)年に生産中止)
乾燥した汚泥を肥料として販売
昭和7(1932)年12月 水洗便所築造に関する条例公布
下の絵は、下水道の普及を奨励するために発行されたポスターです。
下水道の布設により家庭生活が快適になることを訴えるポスター
同じく雨上がりの道路の水はけがよくなることを訴えるポスター
昭和16(1941)年10月 下水道条例制定(昭和22年全部改正)
昭和33(1958)年4月 下水道法(現行)公布
昭和34(1959)年9月 伊勢湾台風で空前の被害
昭和34年9月26日、未曾有の台風15号(伊勢湾台風)が名古屋市を直撃しました。
死傷者5,000人余、被害総額5,000億円余りという史上空前の大災害でした。
下水道施設も、天白汚泥処理場が壊滅的な打撃を受けたのをはじめ、ポンプ所はほとんどが水没するなど、各所で大きな被害を受けました。
名古屋市内の被災の様子
冠水したポンプ室
天白汚泥処理場の被災状況
昭和39(1964)年4月 山崎汚泥処理場が運転開始
昭和30年代の下水道のめざましい普及にともない、新しい汚泥処理場として昭和39年4月から運用を開始しました。
機械脱水を採用し、それまでの天日乾燥に比べて、敷地面積、作業効率、環境衛生などにおいて優位性がありました。
現在、汚泥処理場は3か所あります。
山崎汚泥処理場の真空脱水設備
昭和46(1971)年4月 水道局から独立し、下水道局発足
昭和46(1971)年12月 打出と宝神の両下水処理場の工事に着手
市域の拡大に合わせて、打出下水処理場と宝神下水処理場の工事に着手しました。
打出下水処理場(昭和50年4月運転開始)
宝神下水処理場(昭和50年6月運転開始)
昭和53(1978)年10月 久屋雨水調整池が稼動
昭和62(1987)年6月 高辻雨水滞水池が稼動
雨水調整池は、大雨からまちを守るために雨水を一時的に貯留する施設です。
雨水滞水池は、汚れの度合いが大きい降雨初期の雨水を一時的に貯留する施設です。
雨水調整池と雨水滞水池を合わせた雨水貯留施設は、令和2年度末現在103か所あります。
次のあゆみへは下のリンクから移動できます。
平成(下水道)
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昭和(水道)
(日本初の活性汚泥法による下水処理)
熱田下水処理場は昭和3(1928)年7月に、堀留下水処理場は同年9月に工事着手し、両下水処理場とも昭和5年10月に完成し、我が国初の活性汚泥法による処理を開始しました。
下水処理場は平成20(2008)年に水処理センターと名称変更し、現在は15か所で稼動しています。
堀留下水処理場
堀留下水処理場のブロア室(このブロアは昭和5年9月のスイス製で日本最古の直結ブロアです)
熱田下水処理場
昭和7(1932)年3月 天白汚泥処理場が運転開始
天白汚泥処理場での天日乾燥処理作業風景
下水処理を開始した当初、発生する汚泥は、その大部分が海中投棄されていましたが、天白汚泥処理場の運用開始に伴い、天日乾燥処理等を施して「名古屋産活性汚泥肥料」として生産を開始することとなりました。(昭和46(1971)年に生産中止)
乾燥した汚泥を肥料として販売
昭和7(1932)年12月 水洗便所築造に関する条例公布
下の絵は、下水道の普及を奨励するために発行されたポスターです。
下水道の布設により家庭生活が快適になることを訴えるポスター
同じく雨上がりの道路の水はけがよくなることを訴えるポスター
昭和16(1941)年10月 下水道条例制定(昭和22年全部改正)
昭和33(1958)年4月 下水道法(現行)公布
昭和34(1959)年9月 伊勢湾台風で空前の被害
昭和34年9月26日、未曾有の台風15号(伊勢湾台風)が名古屋市を直撃しました。
死傷者5,000人余、被害総額5,000億円余りという史上空前の大災害でした。
下水道施設も、天白汚泥処理場が壊滅的な打撃を受けたのをはじめ、ポンプ所はほとんどが水没するなど、各所で大きな被害を受けました。
名古屋市内の被災の様子
冠水したポンプ室
天白汚泥処理場の被災状況
昭和39(1964)年4月 山崎汚泥処理場が運転開始
昭和30年代の下水道のめざましい普及にともない、新しい汚泥処理場として昭和39年4月から運用を開始しました。
機械脱水を採用し、それまでの天日乾燥に比べて、敷地面積、作業効率、環境衛生などにおいて優位性がありました。
現在、汚泥処理場は3か所あります。
山崎汚泥処理場の真空脱水設備
昭和46(1971)年4月 水道局から独立し、下水道局発足
昭和46(1971)年12月 打出と宝神の両下水処理場の工事に着手
市域の拡大に合わせて、打出下水処理場と宝神下水処理場の工事に着手しました。
打出下水処理場(昭和50年4月運転開始)
宝神下水処理場(昭和50年6月運転開始)
昭和53(1978)年10月 久屋雨水調整池が稼動
昭和62(1987)年6月 高辻雨水滞水池が稼動
雨水調整池は、大雨からまちを守るために雨水を一時的に貯留する施設です。
雨水滞水池は、汚れの度合いが大きい降雨初期の雨水を一時的に貯留する施設です。
雨水調整池と雨水滞水池を合わせた雨水貯留施設は、令和2年度末現在103か所あります。
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