名古屋市上下水道局

昭和(水道)

最終更新日:2022年05月02日

昭和5(1930)年3月 東山配水塔が完成

建設当時の東山配水塔
東山配水塔(建設当時)

昭和5年3月、第三期拡張事業として東山配水塔が竣工しました。
市の東部丘陵地帯が住宅地として急速に発展したため、水圧が低下して衛生及び防火の両面から不安を生じたので、東山配水池構内にこの配水塔(容量313立方メートル)が建設されました。
建設当時、塔の最上部は現在と異なり円筒形でしたが、昭和58(1983)年5月に現在の形となりました。

現在の東山給水塔
東山給水塔(現在は配水塔としての役目を終え、災害対策用の応急給水施設となっています)

昭和9(1934)年2月 市外(旧西枇杷島町)給水が開始

昭和12(1937)年5月 稲葉地配水塔が完成

稲葉地配水塔
稲葉地配水塔

当時、名古屋駅改良計画とこれに伴う区画整理事業の進展により、中村方面の水需要が急速に高まったため建設されました。
外周に16本の円柱を配置したデザインが特徴的です。
その後、大治浄水場の完成により、配水塔としての役目を終えた稲葉地配水塔は、昭和40(1965)年に図書館として生まれ変わり、さらに平成3年に図書館の移転後、平成7(1995)年に演劇練習館「名古屋市演劇練習館アクテノン」として再整備されました。

昭和21(1946)年3月 大治浄水場が給水開始

朝日取水場
朝日取水場(現在の一宮市で取水し大治浄水場へ導水します)

建設中の大治浄水場
大治浄水場(建設中)

完成した大治浄水場
大治浄水場(完成後の全景)

昭和14(1939)年6月に第5期拡張事業として着工されました。
しかし、戦争激化のため、工事の中断や延期などがあり、昭和21年3月、半施設が完成し、通水を開始しました。
当時の給水能力は1日あたり78,000立方メートルでした。(現在の給水能力は1日あたり544,000立方メートル)

昭和32(1957)年6月 水道法公布

昭和44(1969)年4月 春日井浄水場が給水開始


春日井浄水場
春日井浄水場

第7期拡張事業の中心施設として建設され、昭和44(1969)年4月から一部給水をはじめました。(当時の給水能力は1日あたり195,000立方メートル)
その後、第8期拡張事業により施設の増強が行われ、現在は、本市最大の供給能力を持つ浄水場です。(現在の給水能力は1日あたり590,000立方メートル)
着水から浄水までの浄水処理作業や、送配水の作業をすべてコンピュータによって集中的に管理する施設として建設されました。

昭和50(1975)年7月 1日最大給水量1,235,140立方メートルを記録

昭和52(1977)年4月 岩屋ダム水資源機構の管理開始
(名古屋市初の水源施設)

岩屋ダム
岩屋ダム

岩屋ダムは、「木曽川水系水資源開発基本計画」に基づいて建設が行われ、昭和52年から管理が開始された多目的ダムで、洪水調整、用水供給、発電の役割を担っています。
ダムには1億5,000万立方メートル(ナゴヤドーム約140杯分)の水を貯めることができます。

昭和54(1979)年5月 「うまい水研究会」設置

市民生活を「ゆとりと、うるおい」のあるものにするために、水質基準上、良好であるだけでなく、飲料水として「うまい水」を市民に供給することを基本理念として設立されました。
取水から給水までの5部門(浄水・浄水施設・配水施設・給水装置・広報)にわたり、水道水においしさ(うまさ)の要素を導入した研究を行うという、当時としては先進的な取り組みでした。

うまい水研究会の報告書
うまい水研究会報告書

昭和59(1984)年5月 水の缶詰「なごやの水」製造開始

現在のPR用名水
現在のPR用「名水」

歴代のなごやの水と名水
歴代の「なごやの水」と「名水」

災害に備えての水道水の備蓄啓発とおいしい水のPRのために製造し、イベントなどで配布等をしてきました。
時代ごとに様々なデザインの「なごやの水」(のちに名水に改名)が誕生しました。

昭和59(1984)年8月 きき水会で全国2位
(旧厚生省主催)

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